恐ろしいのは、それだけを見て同調してしまう層が過半数を占めているという、その現実である。少数派が常に正しいということは無論有り得ないが、しかし、多数派が常に正しいのかと言えば、数の論理(多数決)ではそうであっても、「間違い」を「正しい」としていたという例は科学や環境の分野ではいくらでもある。幸いなことにこれらについては正しい知識が広まれば、「間違い」であったことが明らかになるという救いが、まだある。
例えばリサイクルは絶対的正義として『行なわなければならない』と考えている人も多いと思うが、『ゴミ分別の異常な世界―リサイクル社会の幻想』(幻冬舎新書)にもあるように、現場では矛盾と弊害が噴出している。現実世界の物理や化学の法則を人間の願望でねじ曲げることは出来ないのである。『地球を救え』などというような人間至上主義(=驕り)から脱却して、『地球に生かしてもらっている』という謙虚な姿勢(=感謝)が必要で、人間の都合を自然法則にまで押し付けるべきではない。無理が明らかなことは人間が譲歩するべきである。
本当ならマスコミには「ダイオキシンや環境ホルモンで大騒ぎしましたが、実は問題有りませんでした」とフォローして欲しいところだ。自らの『正義』の過ちを認められるのであれば、まだ期待はできる・・・というのは甘過ぎるかな?