2009年11月29日

マスコミは正しいのか? その2

 もう20年近く、新聞は購読していない。交通事故のような単純な事件ならともかく、複雑な背景や専門知識が必要な内容については、新聞は当てにならないからだ。正確性が期待できないし、何よりも記事にする段階で、情報の取捨選択が行なわれており、新聞側の『正義』を押し付けられてしまう。TVの場合は更に深刻で、『正義』の強要が顕著になる。私が特に嫌いなのは街頭インタビューだ。これは印象操作に他ならない。1991年の湾岸戦争の時にアメリカが油まみれの海鳥の映像を用意して日本でも流されたが、それと同じことが延々と繰り返されている。
 恐ろしいのは、それだけを見て同調してしまう層が過半数を占めているという、その現実である。少数派が常に正しいということは無論有り得ないが、しかし、多数派が常に正しいのかと言えば、数の論理(多数決)ではそうであっても、「間違い」を「正しい」としていたという例は科学や環境の分野ではいくらでもある。幸いなことにこれらについては正しい知識が広まれば、「間違い」であったことが明らかになるという救いが、まだある。
 例えばリサイクルは絶対的正義として『行なわなければならない』と考えている人も多いと思うが、『ゴミ分別の異常な世界―リサイクル社会の幻想』(幻冬舎新書)にもあるように、現場では矛盾と弊害が噴出している。現実世界の物理や化学の法則を人間の願望でねじ曲げることは出来ないのである。『地球を救え』などというような人間至上主義(=驕り)から脱却して、『地球に生かしてもらっている』という謙虚な姿勢(=感謝)が必要で、人間の都合を自然法則にまで押し付けるべきではない。無理が明らかなことは人間が譲歩するべきである。
 本当ならマスコミには「ダイオキシンや環境ホルモンで大騒ぎしましたが、実は問題有りませんでした」とフォローして欲しいところだ。自らの『正義』の過ちを認められるのであれば、まだ期待はできる・・・というのは甘過ぎるかな?
ゴミ分別の異常な世界―リサイクル社会の幻想 (幻冬舎新書)

ゴミ分別の異常な世界―リサイクル社会の幻想 (幻冬舎新書)

  • 作者: 杉本 裕明
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 新書

posted by 三森羊一 at 12:31 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

マスコミは正しいのか?

 このブログを書こうと思った動機の一つは、私の周囲の地球温暖化への反応である。私は広島出身ということもあって、25年くらい前の広瀬隆氏の著作をきっかけとした反原発ブームの頃から環境問題に興味を持ち始めた。当時はまだ20歳くらいで新聞によって原発に対する主張が違うなどとは思ってもいなかった。朝日新聞や地方紙くらいしか読んでおらず、それらは原発反対だったが、日本経済新聞などは産業界寄りなので原発は必要という主張だった。
 その後、環境(エコ)についての報道では、割り箸が熱帯雨林を破壊していると喧伝され、それを信じてマイ箸を使っていたところ、槌田 敦先生の著作で実は割り箸は国内間伐材の有効利用であって、熱帯雨林を破壊していないと分かったりした。このような経験をしているので、『マスコミは当てにならないな』という感覚は数十年来のものだ。
 とにかく、マスコミは何か問題が起こるとセンセーショナルに取り上げるが、長期に渡っての追跡や検証など行なわないから、何が正しいのかを探ろうとした時には、書籍に頼らざるを得ない。昨今ではインターネットの普及で情報その物は賛否両論とも容易に参照できるが、それらも元は何らかの著作物であることが多いはずだ。
 さて、地球温暖化の話だが、私が『その原因がCO2だという話はまだ可能性の段階だから(温室効果ガスは他にもある)、現時点で国がCO2の対策だけに大金を投じるのは疑問だ』と言うと、『地球がどうなっても良いんですか!?』と詰め寄られたり、『鳩山首相が実現の見通しも無いのに、国際公約で25%削減と宣言したのは失敗だ』と言うと、『それは技術革新で何とかなるんじゃないの?』と複数の人間から返されたり・・・マスコミの主張の浸透(=洗脳)は恐ろしいほどだ。しかし、それにしか接していなければ、そうなってしまうのは当然ではある。
 でも、それこそ、『それで良いんですか?』なのだが・・・。
posted by 三森羊一 at 00:29 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

『安心して暮らしたい!』

 ありふれたささやかな願いだと思うが、これがなかなか明るい見通しが立たない。むしろ、お先真っ暗な情報の方が多い。政治、経済は言うに及ばず、身近な日常生活まで・・・その最大の原因は、あまりにも『大衆』が多いせいだと思う。このブログでは、必要な情報収集や吟味を自らでは行なわず、マスコミのみを頼りにしてそれを鵜呑みにする圧倒的多数の人達を『大衆』と呼び、その対語を『民衆』と定義する。
 毎日の生活や仕事で忙しい大衆が、日々の情報を新聞やTVといったマスコミに頼るのは致し方ないのだが、問題はそれを鵜呑みにしてしまうことだ。先日(11/10)、朝日新聞社のWEBに掲載された「情報源の世代間ギャップ」を見ると、、新聞・TVが情報源の場合、民主党支持率は約40%と高いが、ネットが情報源だと逆に不支持率が56%と高く、支持率は僅か14%しかない。つまり、ネットには新聞・TVには無い別観点の情報が存在しているということで、『民衆』を目指す場合、決して無視は出来ないのである。
 もっとも、ネットの情報も玉石混合なのでこれも鵜呑みにしてはいけないが、少なくともマスコミとは異なる意見に触れることで、情報の吟味という、鵜呑みから一歩踏み出したステップに進むことができる。ただし、検討や判断のために書籍を読むことも必要になってくるから、鵜呑みよりも時間は掛かる。
 政治が真に国民のために行なわれているのであれば、『安心して暮らしたい!』などと思い煩う必要も無いのだが、実際には政府もマスコミも大衆も『壊国』に向かって突き進んでいるとしか思えないようなことがあまりにも多い。とは言え、嘆いているばかりでは状況は変わらない。
 そこで、このブログで、『言いたいコト』を言っておくことにした。自分も含めて『大衆』から『民衆』への変化の一助となれたら、幸いである。
 
posted by 三森羊一 at 12:53 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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